【連載4】日本を変えた長宗我部家臣団~一領具足の末裔~

2010年の大河は長宗我部が地元、高知の英雄坂本龍馬と岩崎弥太郎を主人公とする龍馬伝です。
この坂本龍馬と岩崎弥太郎ですが、彼らは郷士という下級武士の身分で、郷士というのは主に「一領具足(いちりょうぐそく)」と名乗る半農半武士集団の末裔です。
さて、この郷士、「一領具足」とは一体何者なのでしょうか?
その原点は実は長宗我部にあるのです。
今回はその、一領具足とその末裔のお話です。
戦国期に長宗我部氏は「一領具足」という半農半武士の戦闘集団を作ります。
彼らは平時には畑を耕し、いざ城から戦の号令が出ると畑の横に立てかけておいた一領(ひとそろい)の具足を身につけ参戦し、当時長宗我部当主であった元親の許、大いに奮戦し先攻を上げ、四国平定の大きな力となりました。
彼らは他方の戦に借り出される農民と違い、戦で功を立てるほど恩賞を貰い、中には家老に抜擢される者もいたほどです。
1599年に元親が他界し家督を継いだ盛親が関ヶ原で敗走すると長宗我部は領地を没収され、山内一豊が土佐の国主として入国します。
しかし、一豊の政策ではこの一領具足はただの農民となってしまい、給料が大幅にカットされてしまいます。
長宗我部恩顧の家臣団でさえどうなるかわかりません。
それに反対した一領具足と長宗我部家臣達が浦戸城に籠り山内入国を阻止しますが内応者が現れ分裂し、追い討ちをかけて山内が相撲大会を開くという罠を張ります。
山内に力をみせつけんと参加した一領具足と、その大会を見に来たギャラリーを一斉に撃ち殺し、大量の死者を出しました。
この中には女子供もいたといいます。
それ以降小さな小競り合いはあったものの、山内恩顧の武士と、山内に味方した長宗我部家臣を上士とし、それ以外の一領具足をはじめとする武士を郷士とし、徹底的な身分制度が敷かれました。
例を挙げれば、城下町でも高知城付近は上士しか入れない地域で、郷士は特別な日以外は立ち入りることすら禁止し、上士は高下駄や絹の着物の着用や雨の日に傘をさす事を許されますが、郷士には許されていません。
では、具体的に長宗我部家臣団や一領具足の末裔で、幕末に活躍した人物の名前を挙げていこうと思います。
まずは大河ドラマの主人公、岩崎弥太郎。
戦国期、彼の先祖は安芸国虎という当時安芸を治めていた豪族に仕えていましたが、元親が安芸に攻め入り安芸国虎が自害すると長宗我部氏に仕え、江戸期に郷士となります。
坂本龍馬の坂本家は明智光秀に関係する家で、本能寺の変の動乱で明智と関わりが深かった元親夫人を頼り土佐へ逃げ延び長宗我部に仕え郷士となった。
と言う話もありますが、坂本家は郷士の身分をお金で買った家柄で明智関係の話も龍馬の創作ではないかと言われており、想像の域を脱しません。
また、龍馬を深く敬愛していた谷干城は、岡豊城の鬼門に位置する岡豊八幡の宮司をしていた谷家と、元親の重臣福留隼人の末裔でもあります。
土佐藩士ではありますが、吉田東洋は長宗我部国親、元親二代に仕え、一領具足を考案した吉田孝頼の弟の家系に当たります。
最後に、土佐勤王党から脱藩し天誅組に入隊した島浪間は、別名長宗我部四郎義親と名乗り長宗我部家の末裔だとされていて、元親の菩提寺、雪蹊寺の近くに眠っています。
このように、滅亡した長宗我部の忘れ形見がその精神を受け継ぎ、鬱屈とした精神が幕末の風と混ざり合い約270年後に大きな原動力となり日本を開国へと導くのでした。

(著・イラスト、写真提供:乾アイ)
乾アイ
東京都出身。中学の頃より世界の芸術、建築、文化が好きで、学生 時代は美術とデザインを専門に学び、日本を始め、世界の歴史に興 味を持つ。気づけば戦国時代へ傾倒。現在は、アニメーション、ゲーム、広告、アパレル、WEB…と、 畑を選ばず活動中。
歴史の授業は、ノートや教科書に、歴史上の人物や出来事の落書き をして、周りを笑わせる事が好きでした。 長宗我部氏に出会ったきっかけは、長宗我部氏の名前が読めなかったので、司馬遼太郎先生の夏草の賦を読み始めてから。
http://ainui.com/


