【連載 1】真田の根―滋野一族―

本城跡からの眺望
戦国武将、真田幸村。
本名を 『真田左衛門佐信繁 (さなださえもんのすけのぶしげ)』 というこの武将は、 戦国時代を知る者には あまりにも有名な人物です。
『真田日ノ本一の兵 (つわもの) 』と称えられ、なんと江戸時代から現代の長きに渡って 『日本の英雄』 の座に居続けています。
彼が こんなにも愛される要因としては・・・ひとつには、日本人独特の 『判官びいき』 と いうものがあるかと思います。 桜が儚く潔く散るのを美しいと感じる、その心です。
強く咲き、潔く散った幸村。 しかし、花はそのものだけでは 咲く事も散る事も出来ません。 根があり、幹があり、枝があり、葉があって・・・初めて花は 咲いて散れるのです。
では、幸村が 『花』 だとしたら・・・その根や幹や枝たちは一体誰なのでしょうか。 そこには、幸村が大阪で魅せた一世一代の花吹雪の 『根本』 があります。 私・六龍堂の連載では、その 『幸村に続く真田の魂』 をご紹介していきたいと思います。
真田の根―滋野一族―
真田氏本城跡
真田氏の起こりは、真田家の歴史書 『真武内伝』 によるとこうなります。
清和天皇の皇子・貞保親王は、ある時 燕が落とした糞が目に入り 眼病となります。 その治療の為に 目に良いとされる信濃の浅間温泉に 湯治に出かけられますが・・・
眼病は治ったものの視力を失ってしまい、都への帰還を諦めて 小県郡(ちいさがたぐん) 望月(もちづき) 海野白鳥庄(うんのしらとりしょう) に定住します。
開祖となった親王は 後に滋野天皇と呼ばれ、その子は 『海野小太郎幸恒』 と名付けられ、 歴史上に滋野一族が登場するのです。 実に、西暦800年代のお話。
滋野一族は その歴史を重ねていく中で、多くの家に分かれていくのですが・・・その中でも 名高い海野・根津・望月の三家の、代々“小太郎”を継承する 海野家に注目。
『平家物語』 や 『吾妻鏡』 にも木曽義仲の家臣として登場するこの海野小太郎幸氏から19代後、 海野小太郎幸義、彼の弟が幸綱 ―のちの真田幸隆 その人とされています。
・・・しかし、長野県上田市にある真田町に住んだことから 『真田』 と名乗ったと言われるこの一族ですが、 実は信濃の地に 『さなだ』 と名乗る武士が居た事が、『大塔物語』という記録文書に 記載されているのです。
それは・・・ 『実田』 と書き、読みは “さねだ” かもしれないのですが・・・ 信濃の地に この名を名乗る一族がいたという事実があるのは確かなようです。
滋野一族の家紋 「州浜」
真田の家紋 「六文銭」
けれども・・・滋野一族の家紋 『州浜』 が今にも伝えられる真田の家紋というのであれば・・・ 私は、個人的には前者の説を推したいと思います。
この説は、諸々と その後の真田家の運命に その影をちらつかせてくるのですから。
次回は・・・根を張った一族から生え抜いてきた『幸隆』という幹を、ご紹介します。
(著:六龍堂 写真提供・上田市)

六龍堂
東京都目黒区出身。
古の武将の志や文化を現代に発信する、女流戦国プロデューサー。
『歴史時代書房 時代屋』を企画・立ち上げを担当。『初代女将』として オープン当時から2006年8月までの期間、神田小川町店の店長を務める。
時代屋退職後は、その人脈を活かし『六龍堂』の屋号で戦国時代をモチーフとした イベント企画・商品企画を行なう『軍師』として活動。
2008年、深く傾倒する真田幸村への想いを酌まれ、長野県上田市長より 『信州上田観光大使』を任命される。
戦国を通じて地域活性化や町おこしを提案する『軍師』としても活動中。
